伽藍
月泉庭と龍渕池(放生池)を中心とする庭園の周りに大小多くの伽藍が配置されています。
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臨済宗國泰寺派大本山 摩頂山 國泰寺
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月泉庭と龍渕池(放生池)を中心とする庭園の周りに大小多くの伽藍が配置されています。
三門
安永八年(1779)の造営。仏法守護の阿吽の仁王尊像、左に蜜迹金剛力士、右に那羅延金剛力士を配してあります。仏道の三解脱門をまとめた言葉である空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至るという意味で三門と言われています。一般には山門とも表記されることもあります。
龍渕池(放生池)
昭和49年に完成した放生池です。捕らえられた魚、鳥類を池沼・山野に放ち、その生を完うさせることによって、われわれの日々の殺生に対する供養を行い、更には生きとし生ける有りとあらゆるものの生命尊重の心をあらたにさせることを放生と言います。この時魚介を放ち、食を与える池を放生池といいます。
開山堂
大方丈の北、一段高いところに位置し、天明7年(1787)の建立。開山慧日聖光国師御像、位牌が安置され、真前には「正脈塔」の額、また堂正面入り口には「酬恩堂」の扁額(三条實美卿の筆)を掲げてあります。
観音堂
三門の前庭、木立に囲まれた白い六角の観音堂は、昭和43年(1968)5月に落成。正面に「圓通閣」の扁額を掲げ、本尊聖観世音菩薩(伝行基菩薩作)を中心に三十三体の観音像を安置してあります。越中一国霊場の第三番、北陸第二十四番の札所でもあります。
禅堂
大方丈南庭「月泉庭」の西側にあり、坐禅専修の道場です。堂正面には山岡鉄舟居士筆の「栴檀林」の扁額を掲げてあります。中は一面の敷瓦、正面の厨子に「文殊菩薩」(聖像)が祀られ、両側は一段高くなって畳敷きです。
大方丈
前庭に月泉庭を配し「降魔道場」の大額を掲げる伽藍を大方丈(別名圓通閣)と称します。貞享三年(1686)の建立。本山現存の伽藍中最古のもので、堂内には山岡鉄舟居士筆の「圓通閣」、また、その内陣に釈迦三尊を安置し、有栖川宮熾仁親王御下賜「北鎮禅林」の扁額を掲げてあります。
天皇殿
当山諸堂伽藍中の最高所にあり、後醍醐天皇の勅彫尊像、ならびに光明・後奈良天皇聖像を奉祀しています。現在の建物は明治21年(1888)の再建。正面に「天皇宝殿」の扁額(当山五十八世悦巌大喜禅師筆)を掲げてあります。
経蔵
総門を入って、右手に当たる山の斜面に建っています。蔵内には毘沙門天・傅大士等の像を安置し、経文が収蔵されています。正面には「多聞殿」の扁額(当山五七世龍水英尭禅師筆)を掲げてあります。大正11年(1922)の造営。
利生塔
生命尊重の大誓願をこめて、昭和59年(1984)9月落慶。その荘厳なる英姿は、遠く島尾の辺りからも望むことができます。丸三年にわたる歳月をかけて、設計は竹林舎建築研究所代表の宮上茂隆氏、棟梁は奈良薬師寺・法隆寺の御用寺社大工・西岡常一氏によって建立されました。木組みは鵤工舎。利生塔のご本尊は仏舎利。第六十三世住職の稲葉心田老師が、京都の鹿王院の舎利殿において分骨拝受されました。
仏足石
その昔、釈尊がマガダ国から入滅の地クシナガラに赴くにあたり、石を踏んで阿難に対し「われ今最後の足跡をここに留め、まさに寂滅に入らんとす」と告げられたことにちなみ、仏教寺院では仏足石の建立を多く見ることができます。
月泉庭
月泉庭と放生池を中心とする庭園は小川寿一氏(景観地理学者で庭園研究家として有名)の作です。まず月泉庭の東北隅に弧が描かれていますが、それが「月」を表しています。その横につくばいがあって、水が湧いていて、それが「泉」を表します。これらは開山国師遺偈の「天に月在り、地に泉在り」からとられたモチーフです。
月泉庭の真中に大きな岩がありますが、その重さは約42トン(庭園の石としては日本一と云われています)もあり、雨晴の義経岩を思わせます。
西南には立山連峰、東南には達磨の群像、北西隅には滝や大亀。よく見れば舟も浮かんでいます。使用の石は上物ではありませんが、開山国師ゆかりの二上山から出たもので、化石を含んだ砂岩です。なお、つくばいの傍の藍色の小石は滋賀県の永源寺石、敷きつめてある白砂は京都の白川砂です。