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法話

禅とは? 禅語とは?

 禅の考えがもっとも大事にするところは、まず「自分」ということになります。逆に言えば「自分とは何か?」を明らかにすることが禅ということが出来ます。
 私たちは他人のことだったら根掘り葉掘り知りたがるくせに、自分のことになるとほとんど知ろうとしないということが多々あります。自分にどんな可能性があるのかを知ろうともせず、簡単に見切りをつけて、自分が幸せでない理由を自分の外、つまり他人や環境に見つけようとする。これではいつまで経っても悩みの糸口がつかめず、幸せがわからないままです。
 また他人や環境を変えていくことは、一人の人間がなしえるには非常に難しいものです。それよりもまず自分を変えていくほうが簡単です 。

 それならどう自分を変えていくのがいいのか?それはまず心の中の「怒りっぽい私」「悲観的な私」「わがままな私」「神経質な私」などの、「~な私」と向き合うことです。向き合うということは「~な私」を自覚することです。病気を治すにも自分が病気であるという自覚がないと治せないのと同じことです。病院に行けば、お医者様が診断してくれるように、自分で自分の心を、自分の都合を一切入れずに診断して見る。でもなかなかいきなりは難しいかもしれません。

 そこで、その難しい自分を見ることを、少しだけ手助けしてくれるのが禅語になります。禅語には、必ず表面の意味と込められた意味がそれぞれあります。一見すると「~な私」と全く関係のない短い言葉ですが、その中に「~な私」をどうすればいいかが込められているのです。解説文にも一応説明はありますが、ご自分でもどこが「~な私」を解決するキーワードなのかを考えてみてもいいでしょう。禅語の解釈は一つではありません。
 そうすることで、「~な私」がすべて本当の自分ではないことに気付くと思います。本当の自分は「~な私」に、すべて向き合った後に自然に現れます。そしてそれは何か特別な力が具わった超人ではなく、「~な私」と向き合う前の自分と何も変わりません。ただあらゆる人や物が違って見える、あれほど自分を悩ませていた人や物でさえも、という心境になるはずです。

 

 そんな風に、あなたの心の救いに、禅がなっていくことを切に願います。

臨済宗連合各派布教師

本派吉祥寺副住職 山田真隆 師

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