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法話

平常心是れ道 −平常の心が肝心である−

 人間というのは自分の都合で、地位も給料も評判も高い方がいい、低いのは困る、と、物事に高い低い(優劣)をつけて、よりよい方を得ることに馴れきって、そうすることに何の疑問も持っていません。
 それに対して、平常の「平」は高低が無いということ。本来物事には高い低いという価値は無いということです。あくまで価値というのは、人間が使うのに都合がいいようにつけたものです。

 しかしその価値も人それぞれ。人同士がぶつかるとその価値観もぶつかり合います。ぶつかった時に怒りっぽい自分が首をもたげ、人を傷つけてでも、あくまで自分の価値観を押し通そうとする。そんな時、人間が使うためにつくった価値観に、あべこべに人間が使われているのではないでしょうか。なぜなら「怒」は「奴隷の心」と書くからです。

 そうやって主を失った怒の心が、さらに自分自身を傷つけるということをご存じでしょうか。
今から六五〇年ほど前の夢窓国師という禅僧が、「たとえ他人から叱られようと罵られようと、それだけで自分が地獄に落ちることはない。しかし、それに腹を立てて怒ることが、自分を地獄に落としてしまう。自分を害する大元は他人ではなく、それはただ自分の心なのだ」といっています。

 ですから、私たちが自分の心を活かそうと思えば、心を「平」という本来価値観が無いところに「常」に置き戻す必要があります。それを平常心といいます。 平常心が怒の心を離れて、自分の心を活かし、他人も活かすということにつながるのです。

臨済宗連合各派布教師

本派吉祥寺副住職 山田真隆 師

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